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January 10, 2006

大塚 英志: 更新期の文学

「文学」の現状と今後のあり方についてのエッセイ。

「ものを書く」というのは決して特別な才能を必要とするものではなく、技術を身に付けることで誰にでも書けるものではなくてはいけない。
ジャパニメーションなどともてはやされているが、映像ばかりが先行し、ストーリーが蔑ろにされたままだと、いずれ評価も下がってしまう。
それを防ぐためにも、ある一定のレベルに達したストーリーを書ける、それはすなわち特殊な才能ではなく技術としての「書く」ことができる人材を育てる必要がある。
これが主張の1つ。

一方で、書きたい、そして誰かに読んでもらいたいという欲求を満たしてくれる手段としてブログに代表されるネットの進歩がある。
そこにあるのは、「私」を分かってもらいたい、という欲望の表れでしかないけれど、「電車男」を始めとして、いくつかの作品は多くの人に感動を与えている。
そこでは、どこの誰が描いた作品かはもはや関係なく、「セカチュー」だって誰も作者を気にしないように、「泣ける」作品であればよいという受け手の変化が見て取れる。
これが二つ目。

さらに言えば、「私」の告白こそが近代文学の成り立ちだったとするならば、今こそが近代文学の再構築の時期にあるのではないか。
それを感じることなく、採算性を度外視した文芸誌の発行を継続し、「文学」を特別なものとして改革を良しとしないのは、既得権益に固執しているだけではないのか。
これが三つ目。

こうしてブログを使っている立場では当たり前のように感じられることでも、出版という分野では当たり前のように捉えられていない。
そのことを正面切って発言している著者の言葉には頷けるところが少なくない。
長ったらしいセンテンスに我慢できるならば、本好きの人には一読をお勧めしたい。

大塚 英志: 更新期の文学

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