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January 20, 2007

金子 達仁: 敗因と

3人のスポーツライターによる2006ドイツW杯でのサッカー日本代表の状況をインタビューや他国の実況の様子で再現したノンフィクション。

2敗1分けという惨敗に終わった直後、監督の采配や選手間の不仲、特定の選手の名前を挙げての戦犯探しがスポーツ紙や週刊誌を中心に盛り上がったが、実際のところはどうだったのか、膨大と思われるインタビューによって再構成している。

とはいえ、真実の戦犯探しをしているのではない。
采配ミスと言われた監督ジーコについてはあくまで選手を信頼していたし、意見の衝突のあった中田英寿と宮本恒靖もチームとしての勝利を目指しての対立であった。
分裂していたチームもベテランの不在と各選手が置かれていた立場からすれば致し方ないと言った書かれ方となっている。
あくまで誰々のせいで敗れたのだと結論づけてはいない。

なんとなく、誰も悪くなかった、一生懸命やった、仕方のないことだったのだ、というテイストに溢れているように感じられる。
証言が実名の選手と「ある選手」とされていることの差異も勘ぐってしまいそうになる。

金子 達仁: 敗因と

金子 達仁: 敗因と

私見を述べさせて貰えば、この本を読んでもなお、敗因はジーコという監督にあったし、その手腕に疑問を持たずに起用し続けた日本サッカー協会にあると言わざるを得ない。

ゲームの采配はさておき、日本代表というチームの管理と選手の選択、起用が監督の仕事であるのならば、分裂していたチーム状況を把握できなかった責任は大きい。
しかも、その状況に対して何も手を打たず、却って悪化させるような選手起用を続けたことは組織の管理者として失格であろう。
それが監督経験がまったく無い、元スーパースターゆえの限界であるとするならば、そうした人材に日本代表を託した日本サッカー協会の責任も決して小さくはない。
特にそれが、黄金世代と呼ばれる優れた技術を持った選手たちを預けるならばなおのことだ。

些細なことで仲違いしたり、衝突する選手たちを未熟だと責めるのは容易い。
しかし、そんな選手たちの心の成長を待っていなくては日本代表は強くなれないのか?
そうではない、と自分は考える。
構成するメンバーが未熟だからこそ、それを統率する管理者・指導者に能力が求められるのではないか。
未熟な理由を民族的な問題やその国の宗教意識に求めることは基本的に無意味だ。
それよりも、未熟であることを自覚し、それに対処しなければ、いつまでも同じことの繰り返しになるのではないか。

ジーコの後を引き継いだオシムは、監督として素人ではないということで、うまく行っているように見える。
しかし、最終章に引用された日本サッカー協会の意味不明なレポートを見ると、選手たちの未熟さを認めた上での人選であったのかどうかは疑問を持たずにはいられない。

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